必ずしも強みを生かす仕事に就く必要は無い?

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 強みを仕事に生かしたい?

 

強みを仕事にしたいという話を良く聞く。

私も昔は同じような事を考えていたからよくわかる。

 

例えば運動神経がいいならスポーツ選手かインストラクター、体育の先生。

教えるのが上手いなら塾の先生、学校の先生。

 

挙げていけばキリがないが、強みを必ずしも剣として戦う必須スキルにしなくてもいいのではないかと思う。

強みのみで戦うとその剣が使い物にならなくなった時に途方に暮れる。

強みを生かす仕事が無ければ?

 

私は自分で言うのも気持ち悪いが話すのが人より得意な方だ、というよりも話をまとめることが得意だ。

 

 

 

得意と言っても最初から身についていたものではなく、後天的な努力で身に付けた。文章を書く力、読解力も後天的に頑張って鍛えた。

 

子供の頃は話すことが得意ではなかったし、そもそも大人になってから意識して強化していこうと思ったスキルだ。

小学生の頃、読書感想文を書くのが地獄だった。

国語が苦手で、マンガすら読んだことがなく活字が嫌いで、そもそも読書感想文をどうやって書けばいいのかすらわからずにただ本の要約を写していた。

 

それが今では毎日本を読んで好きで感想文まで書いている。

 

小学6年生の頃に、本を読むのが嫌すぎて頭の中で勝手に物語を作ってそこで学んだことを読書感想文に書いたら、謎に先生にべた褒めされたことがある。

 

ざっくり覚えている内容で書くと、「鼻の中のイボ」という架空の本で作者に友達の名前を使って書いた。

人間というのは、他人から見えないような心の中の悩みに縛られて息苦しく生きている。そんな邪魔なものを取り除けと言われていてもそんな簡単にはとれない。

 

誰にも見えない。自分にも見えないのに自分を息苦しくさせるまるで鼻の中のイボのように。

心にあるものはなんだろうか。

 

といった感じの内容だ。

 

話はそれたが自分は薬剤師になったので、こんな感じの経験から身につけた話す力と要約力をメインに使う仕事にはついていない。

 強みを仕事のプラスアルファにする

・話しが得意なら、話が上手い薬剤師でもいい

・運動神経がいいなら、テキパキ無駄なく動けるウェイターでもいい

・教えるのが上手いなら、商品説明が上手な営業マンでもいい

 

自分の強みを生かせる場所は実はいくらでもある。

お酒に詳しいお坊さんだって、髪の毛がない美容師だって、場合によっては独特なポジションをとれるキャラになれる。

 

 

 長所は自分が就いた仕事でプラスアルファとして生かせればいいのではないかと思った。

別にそれが盾でも短剣でも。一本の剣として使わなくても長所は意外にどこでも役に立つときがある。

 

大事なことは長所を生かした仕事じゃないとダメだと心に見えない何かを植え付けていないだろうか。

鼻の中のイボのように。。。

携帯料金を考えずに損をしてないか?

定期的に払うコストは見直さないと損

 

 キャリアの携帯は高い

 

昨日友人と、携帯のキャリアについての話になった。

 

友人はソフトバンクのキャリアで月7000~8000円払っているという。

 

「どこがいいの?」と聞かれたので

 

「今すぐ格安SIMに変えた方がいい。格段に安くなるから」と答えた。

 

すると友人は「変えるのがめんどくさくてずっとこのままなんだよね」という。

 めんどくさいからやらないという矛盾

 

この時点で大きな矛盾が生じているのにお気づきだろうか?

 

この手の話をブログで文字にするのは2回目だが、なかなかお金の価値について理解している人が未だに少ないので、また記載させていただきたい。

 

まず格安SIMに変えれば月々3000円ほどで済む。もうちょっとしても4000円もあれば普通に使える。

 

キャリアの携帯をいまどき使っているのは、私の解釈で言うとお金持ちか、情報弱者だ。

 

 最近では通信速度もほとんど違いが分からないほどで、値段が倍近く変わるならすぐに変えた方がいいと思うのだが、めんどくさい。という気持ちが勝ってしまっている。

 

めんどくさいといっても、1時間か、2時間もあれば作業は終わる

 差額を時給で考えると・・・

 

キャリアで月々8000円が格安SIMにして4000円になれば差額は4000円/月

 

1年で48000円の利益が出る。

最初の1、2時間の作業で48000円手に入ると言っても過言ではない。

 

時給20000円以上の仕事を1・2時間できると考えればやらない手はない。

 

それなのにこの作業をめんどくさいと言って、バイトなどで時給1000円で働き続ける人がいるのは不思議だ。

48000円稼ぐには時給1000円で48時間以上は働かないといけない。

 

格安SIMに変えるには、ネットで調べればやり方がすぐに出てくる。

私はUQだが、3Gで2100円程で毎月使えている。速度も気にならないほど早い。

 

こんな矛盾は世の中にたくさんがあるが、これを応用して考えられないと不思議と損をしていることを見逃してしまうかもしれない。

2人のクレーマーの患者さんから、なぜ分かり合えないかを教えてもらった。

人と分かり合えないのはなぜ?

それは普通・常識が人によって違うからだ。

 

 

「人々が分かり合えないのはなんでだろう?」と考えた末思い当たる節があったのでそれについて書いていきたい。

 薬局でいた珍しい患者さん

先日、自分の薬局に来た患者さんで面白いことを言う人がいた。

 

患者「数日前に処方してもらった薬が合わなかったんですが、病院に行ったほうがいいですか?」

 

「そうですね、合わなかったときの症状を先生に話したら、前に出た薬とは別の薬を出してもらえると思います。」

 

みたいな感じ私は答えた。

 

その後、そのお医者さんから電話が来たのだが、

私が患者に、『前に出た薬を換金して他の薬に変えてもらえる』といったみたいだけど、そんなこと無理だろ。というような話だ。

 

もちろん無理だ。

その人はいったい何を言っているんだ。それにドクターは俺をそんなことを言う人間だと思っていたのか?となんか失望した。

 普通に考えるの「普通」って?

私は、普通に考えればわかるんじゃないか?

と思った。立派な中年の人だし、頭はしっかりしているはずの人間だ。

 

もらった薬を返せたらいいが、一度消費者に渡ってしまった摂取するものは、基本的には返せない。

 

その人は、薬局に処方箋を持って戻ってきたが、前に貰って合わなかった薬を返して返金してもらえると思ったらしい。。。

 

 私から見ると、小分けのお菓子を買って、一つ食べたらまずかったから他の分は返金してもらって返すというような感覚だが、こんなことがまかり通るわけがない。

普通という概念がその人の軸

このとき思った、「普通に考えたら」の普通はみんな違う。

この普通の軸が違うから、人の考え方は衝突するのではないか、、、

  薬局に怒鳴り込んできた患者さん

以前、薬局に怒鳴り込んできたおじいさんがいた。

「薬が入って無いからお金を返せ!」の一点張りで、会話なんて通じたもんじゃなかった。ひどいクレームだ。

 

「こちらは渡していて、在庫も数あっているので、もし家帰ってもう一回探して無かったらもう一度来るか連絡してください。その薬はあなた以外には出てない薬なんです。」

と伝えてから一切の連絡はなかった。

 

おそらく家を探したら見つかったのだろう。と思っている。

 

高齢者で薬を無くす人は意外に多い。

いつも決まった場所しか探さないからすぐに「貰ってない」なんて言うが、

追加で出すと保険が効かないので値段が高くなります。と伝えると意地でも探して見つけ出してくる。

 

 

普通に考えたら、薬が足りなかったら足りない分をくれ。

というものかと思ったが、薬が足りないからお金を返せ!という発想は、古く凝り固まったおじいさんの発言としては斬新だな。と感動した。

 普通や常識は人によって違う

 みんな普通が違う。だからこそ考えを共有できて面白いのではないか、相手の考えを否定して自分の価値観を押し通すだけでは、開けるドアも閉じたままかもしれない。

アンパンマンを倒すには?という議論を大人が本気で議論した結果

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 アンパンマンはどうやって倒す?

バイキンマンは何をするべき?

 

 

友人とリモート会議でアンパンマンを倒すにはバイキンマンはどうすればいいのか?」という議題が出た。

 

普段考えていないし、最近はアンパンマンをテレビで見ていないので、今のアンパンマンではなく昔見ていたときのアンパンマンの内容で議論を進めた。

恐らくだが、今も昔もそんなに変わらないだろうということで。

 3つの解決策

 

解決策は大きく分けて3つ出てきた。

アンパンマン工場を破壊する

・小麦の生産を止める

バイキンマンの軍事力を上げる

 

思い返すと、バイキンマンアンパンマンには序盤で勝っているが、バタコさんとジャムおじさんアンパンマンの顔の入れ替えをしてから負けるというお決まりのパターンだ。

 アンパンマンの顔を作らせない

 

 

これを論理的に解決するには、アンパンマンの顔を作らせないということだろう。

ジャムおじさんとバタコさんにしか作れない特別なものだろうから、バタコさん、ジャムおじさんもろとも工場を爆破させるというが論理的なのではないかと思った。

 

残酷な話だが、あくまで理論だ。

 別のヒーローが現れかねない

 

小麦を絶つという理論も面白いと感じた。

小麦を絶てば確かにパンは作れない。

 

しかし、そうなった場合に、パンではない別のヒーローが作られて、もはやバイキンマンが太刀打ちできなくなる可能性もある。

アンパンマンを倒すには?という理論から少し逸れるが、バイキンマン目線では新たな敵は厄介な問題になる。 

パンを作れなくさせればいいのか?

 

 今の現状で言えば、パンが作れる限りアンパンマン以外の一押し商品が出てこない。

パンの生産を潰すということは、バイキンマンにとっての未来の脅威を作らせないためにもよくないように思えるため、小麦生産を潰すことは良くない気がしなくもない。

 

パンがなければカビルンルンのような酵母菌?も増える場を増やせなくなる。

 

バイキンマンの軍隊を増やすことについては、アンパンマンを倒す上では重要な方法である。

莫大な数の兵隊がいればそれだけでアンパンマンもろとも町ごと支配できるだろう。

 そもそもバイキンマンは悪いやつなのか?

 

 そこで、そもそもバイキンマンは悪なのか?という話になった。

バイキンマンの特徴について、以前ネットで見た物を引用すると。

・大きな夢・野望を頂いている
・日々努力を重ね、夢に向って手を尽くす
・目標達成のために研究・開発を怠らない
・失敗してもへこたれない
・組織で行動する
・よく笑う

 

アンパンマンはそれを毎回邪魔している。

友達を助けるという面ではアンパンマンもいいところがあるが、どちらが正義なのかと言うことでは疑問になってしまう。

 

日頃関わりのある事柄から戦略を考えることは重要だ。

受け取った情報をそのまま受け取るのではなく自分なりに吟味して情報を噛み砕く必要があると改めて感じた。

電車で高齢者には席を譲らないといけないという呪縛に縛られていないか

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 電車では高齢者に席を譲るべきか

 

友人と昨日話をしていて、電車で普通の席に座っている時に、同じ車両に乗って来たおばあさんが目の前に立ったらしい。

その時に、おばあさんの横にたまたま立っていた人が

「おばあさんが立っているんだから席を譲るように」と言って来たようだ

 高齢だからという理由で座りたい?

 

まずこの時点で、疑問がある。

おばあさんが座りたがっているのかどうかの確認がされているのか。と言う点だ。

 

おばあさんが座りたいか座りたくないかも分からずに、席を譲ってあげて、というのはどうなのか。 

 

そもそもおばあさんの電車に乗る目的にも依るが、優先席ではない席を譲る必要性があるのかどうかだ。

 座りたくない高齢者もいる。

 

私の知り合いの高齢の方では、電車で席を譲ると言われると断るという人が何人かいる。せっかく

その理由は、

①年寄扱いされたくない

②自分で立てるうちは立っていたい

③足腰を鍛えるために敢えて立っている

④働いてがんばっている他の人を休ませてあげたい

などだ。働いている若者を労われている人は意外に少ないかもしれない。

 

せっかく勇気を出して席を譲ってくれた方に申し訳ない気持ちもするが、、

私は席を譲らない

 

ちなみに私は、席に座れたら譲らない。

基本的に私は本を読んでいて、その世界に入りこむ。(優先席には絶対座らない。)

 高齢者本人に席を譲ってほしいと言われれば譲ってあげるだろうが、

三者「席を譲れ」 と言ってきたら、その人が本当に座ることを望んでいるのかを聞くかもしれない。

「座らなくていい」と言われれば、勝手な判断で人の集中を奪わないでくれ、と思うだろう。

優先席は誰を優先するか

電車にある優先席と言うものが曲者だ。

一体誰を優先すべきなのかを見失う時がある。

もちろん妊婦や、足が悪い方、妊婦の方などへは譲るべきだと思うが、高齢者というだけで席を譲るべきなのかが難しい。

若者が優先されるべきだと思う理由

 

若者と言うと幅が広いが、20代~30代として、この人たちがこれからの今の日本とこれからの日本も支えていくことになる。

私もそうだが、この世代はかなり理不尽に晒されて生きてきているし、これからも理不尽の中生きていくだろう。

増税に、給料は上がらない、年金は大幅に減額されている状況、高齢者を支えていかないといけないという現実の中でこの人達こそ優先席に座るべき人ではないだろうか。

 

汗水たらして働き、疲れた帰りはレジャーで帰って来た高齢者に咳を譲れなんて、あまりにも可哀想すぎる。

 この高齢者は、経済成長で毎年上がり続ける給料と接待費と、潤沢な税金で生きている人達かもしれない。

 

高齢者の医療費や、年金は我々が今働いた税金からまかなわれていると考えると胸が痛くなってくる。

まとめ 

 高齢者が電車に乗っているのは基本的にレジャー目的でどこかに出かけるときか病院などだろう。

 病院に行くとしても労働者が働いて納めた税金を使い病院に行ったり、遊びに行くために電車では席を譲らせろというのはおかしい。

 

遊びには歩いて行けるのに電車では立てない。っていう理論がまかり通っていること自体がおかしい。

 

高齢者でも、もしかしたら立ちたくてって立っている人もいるだろう。

 全員高齢なら座りたいと思っていると考えている人が多いのも日本の思考力の無さの露呈だと思える。

謝ることとは、自分の利益を損なわないためにする行為?

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謝ることってどういうこと?

 

最近、友達と数人でリモート飲みをしていて、友達の議題の不備を指摘したところ、論破したような形になってしてしまい、友達が不機嫌になって飲み会から消えた。

 

 その後、この人との関係は自分の人生では必要なものだと思い、謝ってみようと思った。

「ごめんなさい」は文字の羅列でしかない。

 

正直言うと私は、謝るということに関して、言う側の気持ち次第でほとんど意味をなさない呪文のようになる文字の羅列だと思っている。

いつ何時でも、

ご・め・ん・な・さ・い という文字の羅列を求める人間に疑問を感じる時がある。

 

そもそも、謝るくらいなら悪いことをせずに、念入りに行動しているだろう。

それでも人の癇に障ってしまったんなら、分からなくもないが、同じ失敗を繰り返すということは絶対的になくなるはずだ。それでも誤ってまた同じ過ちを繰り返す人もたくさん存在する。

メディアで平謝りする人達

 私はテレビを見るのは好きではないが、たまにテレビをつけると、タレントや政治家などが謝っている時がある。

人によってだが、ただ原稿を読んでいるような人や、1度不倫などの不祥事で謝るが、また同じスキャンダルで再度謝っている人を目にすることがある。

悪いと思って謝っているのかな?と不思議に思うが、謝れば済むというような感じで、時と共にその情報は消えていく。

 

 謝れる人・謝れない人の違い。

 

謝れる人と謝れていない人がいるが、気持ちが向いている方向のベクトルを考えると、その意識の向きが違う。

謝れる人は、相手が悲しんだ。など相手に対してベクトルが向いているのに対し、謝れない人は、俺は別に悪いことをしてない。と自分にベクトルが向いている。

謝って欲しいという人

 

日常でよく、「謝ってほしい」と言う場面がある。

「ごめんなさい」と言っても

「心がこもってないから、もっと気持ちを込めて」 

とか無駄な要求をしてしまう人が居る。

 

私も、学生時代に友達と殴り合いの喧嘩をして、その時の教師から「先生にも謝れ」と言われた。

私が悪くないと思う時は、毎回平謝りで文字の羅列を繰り返してきた。

 

教師に対しては勤務時間内であり、仕事を増やしたかもしれないが、実害を与えてないので謝る必要性は無いし、

ボコすくらい腹を立てたやつに対しては、どうやって心を込めて謝るのかを教えてほしい。と今の自分だったら言っているだろう。

何度も謝ればそれで済むのか? 

 

 最初に心をこめてない時点で、何回言っても気持ちなんてこめられないということだ。

そもそも気持ちを込めるに値しないと思われている時点で、その人の口から発せられる言葉に気持ちなんてなく、ただの文字の羅列でしかない。

 

 だが、人はその文字の羅列だけを求めて、謝られた気になって納得していい気分になる。

 だから、同じ夫に何度も浮気される人が後を絶たないのかもしれない。

 謝ることのメリット

 

 私が思うに、謝るという行為には、相手から利益を得たいという気持ちが必ずと言っていいほど眠っている。だがそれを認める人は少ないだろう。

 

そもそも謝らないでトンズラをこけばいいのに、謝るということは、何かを求めているということだ。

 

学校で問題を起こしたなら、その話で時間をそれ以上無駄にしないために謝ってことを終わらせる。

不倫がバレたら社会的に困るから必死に謝る。

 

それでも、同じことを何度も繰り返す人が多いのは、謝ることに関して気持ちなんてこめていないということだ。

 

それを理解してから、謝るという言葉を求めてまでもらう必要があるのかを考えてほしい。

と思った。

人生の選択肢が多ければ自分の運命をコントロールできるようになる?

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生きる上での選択肢の数が大事

あなたの人生の戦闘コマンドはいくつありますか?

先日、道路を運転していたら、道路の真ん中に紙パックが落ちていた。

牛乳などが入っているような普通の紙パックだ。つぶれているのではなく、そのままの形で落ちていた。

 

そのまま車で踏んづけられたが、ふと避けようと思った。

 

昔の自分なら間違えなく踏んでいただろう。

 

道路に落ちている紙パックを見た瞬間に、いくつかの選択肢がふと頭に思い浮かんだ。

 

①この紙パックにはまだ飲み物が入っているかもしれない。

②釘などが入っていて踏んだらタイヤがパンクするかもしれない。

③鉄筋が含まれていて車運転が壊れるかもしれない。

④何も入っていないただのゴミかもしれない。

 

などなど、今までは出てこないような選択肢が頭に思い浮かんだ末に踏むのをやめた。

 

常に意識して生きることで選択肢が増える

自分では意識していなかったが、考えて生きているうちに行動の選択肢が以前よりもたくさん出てくるようになった。

 

余計な事を考えているのかもしれないが、考えているだけで人生の選択肢と言うのは自然と平がっていく。

行動の選択肢が広がっていくだけでも人生は楽しくなる。

 

選択肢=コマンド

選択肢とはゲームで言うコマンドの様なものだ。

 

ドラクエで言うと

たたかう、ぼうぎょ、どうぐ、にげる

 のコマンドがあるが、これが

 

たたかう、にげる

しかなかったら面白くないだろう。

 

選択肢を意識しない人の選択肢は少ないまま

多くの人は、このことに気づいていない。

たたかう か、にげるか の選択肢だけで生きている。しかも確実に勝てると分かった時だけたたかうというコマンドを取っている。

 

だからレベルが上がらない。

強い敵が出れば戦わない。

 

投資にしても確実に増えないなら投資しない、というように行動を制限してしまっている。そのせいで確実にもうかると思って貯金して損をしている人がごまんといる。

 

選択肢を増やすには?

多くの人は、選択肢を増やしてないだけだ。選択肢をどうすれば増やせるか?

 

【考える】

どこでもできる。「なんでだろう」と言う気持ちを掘り下げていけばいい。

それだけで不思議の人生の選択肢は広がり豊かな人間になる。

 

思考の選択肢が増えれば人間関係も良くなる

例えば、怒っている人を見て、

「なんだこいつ」 「短気だな」 「子供だな」 なんて考えるかもしれない。

 

そこで、もし他の選択肢があったら、

「もしかしたらなんか辛いことがあったのかな」

「女性だし、生理的な感情の問題もあるのかな」

「怒っていないと自分を出せないのかな」

 

などいろいろと考えられ、普段ならただむかついているだけだった相手がもっと、人間味のある人に見えるかもしれない。

 

一つ一つ、自分の感情が動いた時に、意識して「なんでこうなっているんだろう?」

と考えて見てほしい。

 

その繰り返しだけで、人生は少しずつ変わってくるはずだ。