人は変化を嫌うのに、いいことをして不安にならないのは何故なのか

先日友人と海にシュノーケリングに行って来た。

 

2時間ほど泳いでようやくニモを見つけた。水深7mほどのところに親と泳いでいる。といってももちろんイソギンチャクの中を行ったりきたりしている。



なんとか写真に収めなければと、およそ20回くらいもぐり写真を撮り続けた。

ものすごいテンションで帰って写真を見返すとニモではなかった。

 

ハマクマノミという魚だった。カクレクマノミの仲間のようだが、まぁそれはおいておいて、

 

浜から帰って車に乗ろうとしたところ、赤ちゃんを抱えたお母さんらしき女性が子供の名前をずっと叫んでいた。

おそらく娘が迷子なのだろう。必死に探している様子だった。

 

そこで自分とそのお母さんが目があった。

お母さんは私に「娘が迷子なんです、8歳くらいの女の子を見ませんでしたか?」と聞いてきた。

 

この人はものすごく不安にかられているのではないかと心配になったので、迷いもせず、「私たちも探します。」

といい女の子の特徴を聞いて自分も探し始めた。

 

浜辺に特徴に似た女の子がいたので話しかけたらどうやら本人のようだ。

 

「自分はまたいいことをしてしまったのか」と思いながら

お母さんのところに娘さんを連れて行った。

 

お母さんは 「はぐれちゃだめでしょ!」 とかいって、怒るんだろうなと思っていたが違った。

 

娘の顔を見るなり泣き出してしまった。

その時点で自分は何も言わずに車に戻った。

 

お礼がいわれたいわけじゃない。ただ自分の思うように行動しただけでそれ以上に何も求めていないからだ。

 

 

昔は自分がずっと悪いことをすることにアイデンティティを感じていたので、人を助けるなんてするとなにか奇妙な感じがしてしまう。もちろん悪い気がするわけではないが、こういう人間じゃないんだけどな。って思ってしまうからだ。

 

帰りに友達とラーメン屋に行った。

そこで奇妙なことに財布が落ちている。

 

中身をもらおうなんて考えもしない。ただ店員に忘れ物と返す。

1日に意識できる善意を2つもすることなんてなかなかないので、明日はなにか大きな変化が人生で起こるのではないかと違和感を感じることがある。

 

人はこれ以上人生が悪くなるのは嫌だ、という恐怖と同じくらいこれ以上人生がよくなることにも怖さを覚える生き物だ。

 

いいことをすればいいことが必ず帰ってくる。悪いことをすれば悪いことが必ず帰ってくる。それは避けようの無い事実だ。カルマというらしい。

 

それを考えるといいことをすることに普通の人は恐怖を覚えないのだろうか。そう感じた。一日だった。