48話 人にやさしくするには自分を犠牲にしなければならないbyアンパンマン先生

これはアンパンマンの作者であるやなせたかしさんが、アンパンマンを通して伝えたかったことだと以前テレビで見たことがある。

 

アンパンマンは、お腹が減っているキャラクターがいると、自分の頭をちぎって分け与えるという自己犠牲の精神だ。アンパンマンは自己犠牲によってみんなから名誉と人気と信頼と言う莫大なリターンを得ている。

 

実際にこれは人間の世界でも同じことが言える。

 

 

自分は人からよく物をもらうことが多い。ただもらっているだけではない、自分があげることも多い。それよりも、自己犠牲をしているという点に気が付いた。

 

先週末の土日で、友人の知り合いの別荘に泊まらせていただいた。無料ではないが、割安で、そして、パイナップル農家へ連れて行ってもらい、一人500円ほどでパイナップルを好きなだけもらえた。

 

みんなもらっていた、船で石垣島まで帰るので荷物が多くなるのはみんな避けたかったろう、もらっても3~5個くらいだ。

 

自分は11個もらってきた。

別に競っているつもりなんかない。貧乏精神が強いだけかもしれない。

ただでさえ自分の荷物がたくさんある中で、バッグを一個空にして、パイナップルを必死に詰めた。

 

自分でこんなにパイナップルを食えるはずはなく、お世話になった人や友人に配るためだった。

石垣島に着いてから、お金がかかるのでタクシーも使わず家の方まで歩いた。

 

荷物が重すぎて、何度休んだか、汗だくで腕も筋肉痛覚悟でたくさんのパイナップルを運んだ。

 

この重いパイナップルについて、噛み砕いて考えてみた。

自分はただのケチだと思われてもおかしくない。パイナップルを11個も運んでくるなんてケチを通り越して窃盗団のレベルだ。

だが、私の中の視点ではこう見えていた。

 

これは一種の自己犠牲であって、パイナップルを11個運べば、自分の分を除いて10個分のパイナップルを配ることが出来る。

5個運んだ人は、4個のパイナップルを配ることが出来る。

 

自分を犠牲にした分だけ、人に喜んでもらえる。

ということに気が付いた。ただ、無駄に自分を傷つける自己犠牲ではない。

勘違いされることがあるが、見返りを求めてやっているわけではない。

ただの献身的な自己都合の行動である。だが、自分が人を思う気持ちは必ずと言っていいほど返ってくる。

 

5個のパイナップルを運ぶのも10個のパイナップルを運ぶのも大して時間は変わらない。

それなら自分に少しくらい負担をかけても多くの人の為に、もしくは少ない人に多くの利益を与えてあげようと思う気持ちが重要ではないだろうか。

 

あなたは自分の行動の理由を考えながら生きているだろうか。

 

 

私の腕は案の定筋肉痛だが、この筋肉痛は献身的な行動の賜物である。

自分の行動に誇りを持てるようになった1日だった。