マッチングアプリは、ある種の戦場であるが、その土地それぞれの特色があったりして勉強になる部分がとてつもなく多い。
人生を勉強するために株もそうだが、マッチングアプリという存在はとてつもなく実の詰まった教材ともいえる。
私は沖縄と東京にしか住んだことはないが、沖縄でやると、顔画像を載せていない人が意外に多い。
それは、知っている人がいると話のネタにされてしまうという島ならではの狭い世界での恐怖が付きまとっているのかもしれない。
面白いのは、「顔写真は言ってもらえれば送ります」と書いている人だ。
顔によっぽど自信があればいいと思うが、こういう風なことをプロフィールに書いている人は少なくない。
とてつもなく自分が傷つくリスクを抱えているということに気が付いているのだろうか?と心配になる
メッセージのやり取りをしている途中で、顔写真を送った直後に返信来なくなったらどうするのか。
もしそれが何度も続いて、顔画像を送る度に連絡が来なくなるようになれば、画像を送ることがビジネスで言うボトルネックのような状態になる。
自分だったら、そんなことに耐えられないので最初から画像を載せておこうという考えになる。
仮に、知っている人に見られたからと言って何になるのだろうか?
人生が終わるか?そんなことは到底ない。
狭い世界しか見えないと自分の生きる世界はまるで今いる半径数㎞の範囲内なんてことになってしまう。
もし、他人の話題にされたとしても、今やマッチングアプリに登録している人は1つのアプリを見ても1000万人を軽く超えている。
やっている人が限りなく少ないであろう、高齢者や子供の人数を除けば3人に1人くらいはやっていてもおかしくないような計算だ。
みんなやっていれば間違っていないというような、日本人的観点から見ても、これを恥ずかしがることに少し矛盾を感じる。
①最初から画像を載せていて、知り合いに見られる可能性があること。
②メッセージをしている時に画像を送って、急に返事が来なくなること。
どっちがきついだろうか。人によってその答えは異なるだろうが、後者の方が断然傷つく可能性が高い。
自分自身を否定されているということだ。
容姿は簡単には変えられない。
それなら思い切って自分を出して戦ってみようではないかと思う。
陰に隠れて弓を打たずに、剣を持って前へ出ろ。by俺