<いじめは無くせるのか>

いじめという問題は実際に多くの人が考えている以上にものすごく奥が深い問題だ。

いじめということは何十年も前から考えられているが、まったくなくなる気配はない。

 

私の考えではいじめはなくすことができなくはないだろうが、まず現実的に不可能だと思っている。

 

いじめは学生時代によく発生すると思われているが、一生降りかかる可能性のある問題である。

学生という身分を卒業してからも、職場でのいじめ、ママ友内のいじめや高齢者になってからのうわさや悪口など耐えることはない。

 

いじめというものの根源は人間の正義感と嫉妬という感情が大きくかかわっていると考えられる。

 

そしていじめというものが実に人それぞれの解釈で異なってくるあいまいなものであるという。

 

まず正義感についてだが、人は自分が正しい、相手が間違っていると思うと相手を倒してもいいというような解釈を生み出すことがある。

悪いことした人は、それ相応の罰を受けるべきだという、一見当たり前のような感覚だが、その自分がまず受けたと感じるものの大きさも人それぞれ違う。

 

人の痛みは当然自分ではわかることができないので、相手が壊れるまで叩き潰してしまおうとしてしまう。

 

そして嫉妬。嫉妬は相手が自分より下なのに自分が求めるものを持ってしまっているということを実感したときに生まれている。

 

自分より容姿が悪い癖に恋人ができて、、とか、そんな一見しょうもないようなことだが誰しもが同じような感覚を持っている。

 

この嫉妬と正義感の絡みがいじめの原因の大半だと私は考える。

稀に、人を拷問するのが好きだと言っていたぶる例もあるだろうが、それはその場を離れるしかないと思う。

 

いじめは人間の防衛本能からおこるものであり、現実的になくすことは難しいでも。

若い時に多く、年を取ると減っていくのは、おそらく知能が成長していくということがいじめ解決の大きなカギになっている。

 

いじめをするということは、相手を考える時間があり、暇な人だ。

そして、相手のことや人間の環境などに配慮できない未熟な人たちだ。

 

赤ちゃんを見ると大抵の人はかわいい、愛おしい。と思うだろう。

だが、どんな大人も昔は赤ちゃんだった。

 

赤ちゃんの頃に親に、周りの人に大切に育てられて生きてきた。

そのことを一人一人が考えられればいじめなんてできないだろう。

 

人をいじめてその結果いじめられるという例に関してはどうしようもできないが、考える力が発展していれば、誰かをいじめようとか、ストレスを誰かにぶつけてやろうなんて思わなくなってくる。

 

いじめることは、自分の能力の生産性を上げるわけではないから。

もし、相手が自殺なんてしてしまったらそれは一生脳裏に刻まれるかもしれない。

 

人の痛みをわかることはできないが、その人の育ってきたであろう環境を創造できるような教育がいじめの減少につながるのではないだろうか。