「若者にコロナ治療譲る意志カード」というものが話題になっている。
高齢者が同程度の病状の若者に、治療を優先して受けさせるというものだ。
だが、賛否両論あるという・・・
雪だるまは雪が降った後に溜まった雪で作るものだが、冬も終わり温かくなれば溶けて少しずつ消えてなくなる。
雪だるまの役割は、生まれてくることで人に喜びを与えることだ。
作るのは大抵子供か、夢のある大人たちである。
夢のない人は雪だるまを作ることは、まずない。
作るまでは大変だが、作った後の達成感を味あわせてくれ、試行錯誤して作るという課題も与えてくれる。
すなわち彼らは、やりがいと思考力、発想力の向上に献身しているということだ。
そして作られ、飽きられた後の雪だるまは放置され、行きゆく人々を見守りながら日に日に身を減らして消えていく。
人間そのものである。
我々も夢を持った人たちの元に生まれ、その後徐々に大きくなっていき、人々に夢を与え、
そして最後は人々を見守りなくなっていく。
それが理想だろう。
あなたは人の喜ぶために、意識してできているものはあるだろうか。
毎日嫌々仕事をして、終わってテレビを見て、酒やジュースを飲みながら身にならない話をダラダラして寝る。なんて生活をしてないだろうか。
傲慢な雪だるまになっていないだろうか。
もはや雪だるまとしての役目も果たさない人の歩く道を防ぐ雪の塊になっていないだろうか。
高齢になった人たちは今まで頑張って日本を支えてきているのは事実だろう。
同じ人間としてできる限り長く生きようとする気持ちは、自ら死ぬという選択よりもとても大事である。
昔は高度経済成長期で、国が発展するための道のりがある程度決まっていた。
今の不況は努力に加えかなりの試行錯誤に、未来が見えない不安を抱えながら進んでいくという違いがある。
これから頑張ろうと生きる若者の命と自分の命を天秤にかけ、傲慢に自分の命を優先させようとする人たちが思ったよりも多い。
高齢になっても「毎日社会に貢献して、自分の家族を守らないといけない」、という人たちなら自分の命を見ず知らずの若者よりも優先したいというのは納得できる。
ただそんな生き方をしている高齢者がどれくらいいるだろうか。