☆33話 体験の初めは体験者にとって、その世界の顔になる。

知り合いに、へちまが食べれないという人がいた。初めて食べた時に美味しくなかったから食べないという。

この話は実に奥が深い話だと思った。

 

自分がオーストラリアで語学学校に通っている時に、マルセロという若いブラジル人の男の子と友達になった。自分より8個も年下だが、仲良く遊ぶことが多かった。

 

学校ではクラス替えが定期的にある。クラス替えしたタイミングで入学してきたマルセロにとって、クラスメイトになった私を、「学校で初めてできた友達だ」と喜んでいろんな人に紹介していた。

 

自分は学校では、ある種ムードメーカー的存在だった。

長めの風船を飲み込んだり、家で毎日酒飲みパーティーをしてたり、英語よりもポルトガル語を勉強してブラジル人のサンバの祭りに出たり、かなり風変わりな日本人だっただろう。

 

一定期間経って、クラス替えがあり、マルセロとは違うクラスになった。

 

それから数日後、違うクラスになったマルセロと、学校の廊下でたまたま再会した。

 

マルセロは、私を見つけるなり言ってきた。

「聞いてくれ、変な日本人と同じクラスになったんだ!全然自分から話さないし、大人しいし、俺のギャグが全然通じないんだ。」 

 

私は、マルセロを近くのテーブル席まで連れていき、ものすごく真剣な顔で話し始めた。

「俺から大事なことを君に伝えなければいけない。。

君が変だと思っている日本人は実に普通の日本人だ。むしろそれが日本人だ。俺はブラジル人に近い日本人だから君と通じ合うものがあったんだと思う。自分で言うのもおかしいが、俺は普通の日本人じゃないんだ。」

 

マルセロは悲しそうな目をしていた。

 

 

ここで噛み砕いて考えてみる。

このマルセロというブラジル人少年にとって、初めて出逢った日本人の私は、彼の中での日本人の基準になっている。

 

オーストラリア人で、「私は日本人が大好きなんだ!」というおっさんと出会ったときも同じ何かを読み取った。そのおっさんは初めて出逢った日本人がいい人だったから、日本人を好きになったということだ。

 

自分が初めて出逢ったものがその世界の基準になる。

もちろん、日本人でもいい人もいれば悪い人だってごまんといる。まともなマナーもなってない人、常識が欠落している人。

 

もし態度が悪い人日本人が、オーストラリアのおっさんにとって初めて出逢う日本人だったら、おっさんは、おそらく日本人が嫌いになっていただろう。

初めて見たものが相手の基準になるということは、あなたも見えないどこかで、何かしらの看板を背負って生きているということだ。

 

視点を変えてみれば、自分が嫌いだと思っている世界は実は自分に合っている、まだ入る余地がある世界だとしても、可能性を自らつぶしてしまっているかもしれない。