☆139話 見えないとこまで見る力をつける

しばらく東京に帰っていて、ブログを書けていませんでした、読んでくださっていた方には誠に申し訳ございません。

この申し訳ございませんは、期待をしていただいたのにそれに応えられなかった自分の怠惰な部分への自覚から出た感情ですので形だけの謝罪ではないです。

 

 

 東京で会える限り友人と会ってまいりました。

高校の同級生、大学の同級生、オーストラリア時代の友人まで、時間を割いていただいて、本当に感謝しかない。自分は恵まれているなと言うことを改めて感じられた。

 

感謝と謝罪だけは忘れてはいけないと思った。

 

そこで私が気になったのは、私が思っていた以上に友人は物事を深く見ていたということだ。

 

別に友人が全然考えない人ばかりだと思っているわけでもないが、「想像以上にみんな本質を捉えているんだな。。」とむしろ自分の非力さなのか、周りの思考力が上がっているのか

どちらにしてもまだまだ自分自身の伸びしろがあるなと感じた。

 

私が一番印象に残っていたのは、グローバルな保育園で働く先生の話だ。

 

ハロウィンの日は子供たちが仮装してきてもいいというのだが、仮装してきた子供たちの中にエルサ(アナと雪の嬢王の女キャラ)のコスプレをした男の子や毀滅の刃の男の子キャラのコスプレをした女の子などがいるという。

 

これを表面だけ見ていれば、「この子変わってるな、珍しいな」 くらいで終わってしまうかもしれないが、私の友人は、

「今までは子供が異性の服装をするなんて親が止めていたのに、今はそれが容認されていて人数も服数人いる。LGBTの認識も広まっていて親がそれを考えられるようになってきたのかもしれない。」

と言ったので驚いてしまった。

 

こいつは本質を見ている。と思った。

なかなか物事の中身まで見ている人は少ないと思っていたが、それも一面、本質を見えている人が見えていない自分がいるのも一面。

 

相手の良いところを見る習慣をつけているお蔭で、逆に考えれば自分が見えていなかった相手の長所が今まで以上に明るみに出ただけなのかもしれない。

 

まだまだ自分は未熟なんだな。と思い見つめなおす必要があると感じた。